さて先日11月23日は我が国日本国の大切な神事「新嘗祭」の日でした。新嘗祭は新穀の恵みを授けて下さる大自然の神々に感謝する行事です。新嘗祭と言えば我が国を代表する穀物「米」。実るほどに稲穂がたわんで垂れてきます。
「実るほど首を垂れる稲穂かな」
誰もが知っている「実るほど首を垂れる稲穂かな」という作者不明の有名な言葉があります。仏教にはその言葉と雰囲気が似る「稽首(けいしゅ)」という言葉があります。頭を深くたれて地につける最上の礼拝作法のことです。仏性(仏の心)が磨かれて大きくなるほど、慢心が取り除かれ、他者に対する感謝の念も自然と大きくなるという点で先述の言葉と意味合いが近いのかな、と解釈しております。自分もそうありたいと願いますが、現実は歳を重ねるたび、無意識に「私は修行を積んだ住職である」と威張って慢心も大きくなります。ふとした時に我に返り反省しております。
尊敬する檀家さん「Tさん」の反省談
私が尊敬してやまない檀家さんのTさんは先述の稲穂の言葉がとても似あう素晴らしい会社経営者です。とても信心深く勤勉で、威厳に満ちていらっしゃいました。私がまだ副住職だった頃からご指導を頂いておりました。法事の折にご自身の人生訓をご教授頂きました。
「副住職さん、若いとはええもんですなぁ。私がまだ若かった頃はね、まぁ慢心があって色々上手くいきませんでしたなぁ。けどね、そんな慢心は大病によって簡単に折られてしまった。お医者さんからも見放されたある日、たまたまご縁で御四国八十八箇所霊場の先達さんと出会いましてな。私がお遍路に連れていってあげる。巡礼しながら一所懸命仏さまとご先祖様を供養しなさい。そうすれば病は治る。半信半疑でお遍路に行ったら本当に治ってしまった。」
思わず私が、
「へぇ~!それは凄い功徳ですね!!」
と驚くと、Tさんは嬉しそうにお話を続けられ、
「あぁ良かった!これで終わったと思ったら、その先達さんが、今度はお礼参りにもう一度巡礼しなさい、とね。終わったらまた、今度はあんたはん自身が報恩謝德の為に周囲の苦しんでいる人を導いて一緒に巡礼してあげなさい、とね!終わったと思ったらまた別の霊場巡礼があると!もうこうなると終わりませんわなぁ!はっはっは~!今から考えると病気はもとより、私の慢心という病も治りましたな。人間は感謝の心を忘れたら全部うまいこといきませんなぁ。そのことに気が付くまでえらい遠回りしましたなぁ。それから心機一転、会社の経営や地域貢献の活動に一層精進させてもうたんですわぁ。おかげで今の会社や善きご縁、善き家族がありますわな。ありがたいことですなぁ。」
Tさんのそのお話は私の心の深く残りました。Tさんはお年を召されてからも、何か良い言葉を聞いたり、良い気付きを得られるたび、興味津々でお手持ちの手帳に書き込まれては学びを深めていらっしゃいました。いつも若い人の話にも真剣に耳を傾けて下さいました。
Tさんの書き遺された一冊のノート
Tさんは昨年秋、縁城寺ご本尊千手観音様のご縁日にご逝去なさいました。Tさんの四十九日のお斎の折、喪主のご長男様が、
「御住職、これ見てやって下さい。親父がずっと亡くなる直前まで書き続けていたノートです。」
と仰り、一冊のノートをお渡しくださいました。お斎の最中でしたが早速拝見させて頂きました。そこにはご自身の人生を振り返る様々な熱き想いをはじめ、長年添い遂げられた奥様への感謝の言葉が綴られていました。最後に、乱れつつも非常に美しい筆跡で「善い人生だった。みんなありがとう。」と書いてありました。お斎の席ではご親戚の皆さんが一堂に会しておられましたが、私、恥ずかしながら涙をこらえる事など到底出来ませんでした。
最後に
「実るほど首を垂れる稲穂かな」。最期まで感謝の心を片時も忘れることなく仏道のお手本を示され旅立たれたTさん。長年ご指導、お導きを頂き、感謝の念でいっぱいです。私もかくの如くありたいものです。どんなに歳を重ねても慢心に支配されぬよう、皆様とご一緒に「人生生涯小僧の心」で一層精進できれば幸いです。縁城寺から皆様の益々のご多幸をお祈り申し上げます。